竹越編修官長辞任の要因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 08:03 UTC 版)
「明治天皇紀」の記事における「竹越編修官長辞任の要因」の解説
二代目編修官長の竹越が辞任した要因について、 渡辺幾治郎編修官は後に「全く総裁金子堅太郎の拘束が甚しく、かれが世界的の明治天皇を世界史的立場から描かんとした抱負を理解せず、煩細の束縛を加えた結果であった」と回想している。 また、竹越の次男によると、竹越が辞任した経緯は次のようであったという 。金子総裁は高齢であったので自分の存命中に明治天皇紀を完成させ、その栄誉を以って伯爵に昇叙されることを期待した。竹越に対しては、完成の暁に竹越を男爵に推薦してやると言って早期完成を促した。このことが竹越を痛く憤激させた。西園寺公望は「金子は高齢であるから、先が長くないので、いま暫く辛抱したらよいではないか」と言って竹越を慰留したが、竹越は編修官長を辞任した。 竹越の後を継いだ三上編修官長は、自分が編修官長になったのは「ある家に後妻に来たようなもの」であり、「その家はかなり複雑」で、金子総裁は「相当に喧しい姑婆さん」であったという。
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