竹の鼻の渡し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 04:25 UTC 版)
橋が架けられる以前は「竹の鼻の渡し」と呼ばれた船一艘を有する私設の渡船場が橋のやや上流側に存在していた。いつから存在していたかは定かではないが、安永年間(1772年-1780年)には平賀源内が鉄や木炭の運搬に利用した河岸が渡船場に併設されていたことから、この頃までに存在していたと考えられ、大宮郷(現在の秩父市中心地)から上州や越後方面へと至る交通の要衝であった。渡船場は開設当初は寺尾側での管理であったが、後に大宮郷と共同で管理運営を行う様になった。渡船料は1846年(弘化3年)の記録によると周辺の村から年に一世帯につき麦一升を納めたと記されている。冬場の減水期には長さ15間(約27.273メートル)、幅3尺(約0.909メートル)の土橋の仮橋が架けられていた。架設の際は秩父夜祭の前である11月25日に「祭り前の橋かけ」と称して仮橋の架設が行われ、「橋架けのお日待ち」と呼ばれる儀式も行われた。仮橋の撤去はお雛様は橋を渡らないとされたことから節句前に行われ、その際に「橋はずしのお日待ち」と呼ばれる儀式が行われた。また、夏場はこの渡船場付近で秩父川瀬祭の神事も行われた。この渡船場は武之鼻橋の開通により廃止された。現在右岸側に渡船場への道が存在している。
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