立原元夫とは? わかりやすく解説

立原元夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/07 06:23 UTC 版)

立原 元夫
名前
愛称 モーチャン[1]
カタカナ タツハラ モトオ
ラテン文字 TATSUHARA Motoo
基本情報
国籍 日本
生年月日 1913年1月14日
出身地 東京市品川区
没年月日 没年不明
身長 164cm[2]
体重 64kg[2]
選手情報
ポジション MF
ユース
1933-1936 早稲田大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
早稲田大学WMW
代表歴
1934-1942 日本 4 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

立原 元夫(たつはら もとお、1913年1月14日 - 没年不明)は、東京市品川区出身のサッカー選手

経歴

法曹の雄と呼ばれた花井卓蔵の五男[3]として生まれた。卓蔵の生家であった立原家に跡継ぎが無く断絶していたため、1928年(昭和3年)4月に立原姓を名乗り、立原家を死跡相続した[4]

東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属高校)在学中よりサッカーを始め、1933年に早稲田大学に入学し、在学中はア式蹴球部に所属した。1934年に開催された第10回極東選手権競技大会日本代表に選出され、5月13日のオランダ領東インド(現:インドネシア)代表戦で日本代表として初出場した。1935年にはア式蹴球部の主将を務めた[5]

1936年3月に早稲田大学を卒業して大日本人造肥料(現:日産化学)に入社[5]、傘下の合同油脂に勤務した[6]。同年に開催されたベルリンオリンピックの日本代表に選出され[2]、1936年8月のスウェーデン代表戦など2試合に出場した(ベルリンの奇跡を参照)[7]

1937年には従軍し、張家口大同方面の戦闘に参加した[8]

1942年8月、満州国建国十周年慶祝東亜競技大会日本代表に選出され、主将として3試合に出場した[9]

その後、日産化学から分離した日本油脂(現・日油)で神明工場副工場長などを務めた[10]のち、関連会社の日油タセト商事(現・タセト)の代表取締役となった[11]

所属クラブ

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 4試合 0得点(1934-1936)


日本代表 国際Aマッチ その他 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点
1934 2 0 0 0 2 0
1935 0 0 0 0 0 0
1936 2 0 4 0 6 0
1937 0 0 0 0 0 0
1938 0 0 0 0 0 0
1939 0 0 0 0 0 0
1940 0 0 0 0 0 0
1941 0 0 0 0 0 0
1942 0 0 3 0 3 0
通算 4 0 7 0 11 0

出場

No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 1934年05月13日 マニラ  オランダ領東インド ●1-7 竹腰重丸 極東選手権
2. 1934年05月20日 マニラ  中華民国 ●3-4 極東選手権
3. 1936年08月04日 ベルリン  スウェーデン ○3-2 鈴木重義 オリンピック
4. 1936年08月07日 ベルリン  イタリア ●0-8 オリンピック

出典

  1. ^ 附属中学サッカーのあゆみ』東京高等師範学校附属中学蹴球部六十周年誌編纂委員会、1984年5月、118頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/12172565/63 
  2. ^ a b c 「オリムピックへ十六選手決定す」朝日新聞 (1936年4月23日) 2016年9月11日閲覧
  3. ^ 大木源二『花井卓蔵全伝 下巻』花井卓蔵全伝編纂所、1935年、33頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213769/50 
  4. ^ 大木源二『花井卓蔵全伝 上巻』花井卓蔵全伝編纂所、1935年、13頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213754/55 
  5. ^ a b 「早大蹴球部卒業選手勤務先」 読売新聞、1936年1月30日、2016年9月26日閲覧
  6. ^ 朝日新聞社 編『われらの選手:オリンピツク代表点描』朝日新聞社、1936年、119頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1224602/70 
  7. ^ ベルリンオリンピック”. 日本サッカー協会. 2016年9月26日閲覧。
  8. ^ 「スポーツマン奮戦録 三君奇遇しまた別る」『朝日新聞』、東京朝刊、8面。
  9. ^ 満州国建国十周年慶祝東亜競技大会”. 日本サッカー協会. 2016年9月26日閲覧。
  10. ^ ダイヤモンド会社職員録 全上場会社版 1961年版』ダイヤモンド社、1961年、537頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2522329/289 
  11. ^ 社史編纂委員会 編『日本油脂三十年史』日本油脂、1967年、643頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2514872/345 

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