稲荷藤節
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/01 09:22 UTC 版)
この盆踊り唄は明治初期から勢多郡、佐波郡、前橋などで利根川を運行する船頭などの間で広く唄われた。稲荷藤節を歌い出すときは「私しや増田の稲荷藤が弟子で」と言う。 この歌も大正中頃、八木節の流行に押され、衰退の一途をたどるに至った。しかし、1973年(昭和48年)に前橋土芸能大会に参加出場し、青年や婦人会の人々によって披露され高く評価を得て、現在も盛んに行われている。
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