移動慰安所(BMC)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:13 UTC 版)
フランス軍、特にフランス植民地軍には「移動慰安所」というシステム(慣習)があった。「移動慰安所」は、フランス語でBordel militaire de campagne、またはBordels Mobiles de Campagne(略称はBMC)と呼ばれ、第一次世界大戦・第二次世界大戦・インドシナ戦争、アルジェリア戦争の際に存在した。 移動慰安所は1830年にアルジェリア、あるいはモロッコで成立したといわれ、チュニジアにも存在した。慰安婦には北アフリカ出身者が多かったが、現地人女性は防諜上の観点から好ましくないとされた。 BMCは、第二次大戦中、ドイツにも設置された。大戦後も、1950年代まで戦われたインドシナ戦争で運用された。 その後も、1978年までヨーロッパにおけるフランス領土、いわゆるフランス・メトロポリテーヌ内に4つのBMCが存在し、ギアナのフランス領クールーでは、1995年までBMCが稼働していた。 フランスの軍用売春宿計画は「キャンディボックス(la boîte à bonbons)」などと婉曲表現された。 秦郁彦は、このフランス軍の移動慰安所形式は、戦地で日本軍が慰安婦を連れて転戦した際の形式と似ていると指摘している。
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