秦の人質とは? わかりやすく解説

秦の人質

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 15:55 UTC 版)

春申君」の記事における「秦の人質」の解説

黄歇国政最初に登場したのが紀元前274年頃襄王の命を受けて秦に使い行った時である。この頃、秦は韓・魏を従えて攻めようとしていた。黄歇は秦の昭襄王上書し「強国である秦と争って互いに傷つき、弱い韓・魏を利するだけ」と説いた昭襄王はこの理を認め和平することにした。翌年和平の証として太子完(後の考烈王)を秦に人質として入れることになり、黄歇はその侍従として秦に入った紀元前264年国元頃襄王が病に倒れたこのままでは国外にいる太子完を押しのけて他の公子のうちの誰かがとなってしまう可能性が強いと、黄歇秦の宰相范雎説いて太子完を帰国させるように願った范雎からこれ聞いた昭襄王はまず黄歇見舞い返して様子を見ることにした。ここで黄歇太子完を密かにへと帰国させ、自らは残ることにした。事が露見した後、昭襄王怒って黄歇誅殺ようとしたが、范雎とりなしもあり、代わりに太子完の弟である公子顛(昌文君)を代わりに人質要求したことで話はまとまり黄歇へと帰国することができた。その3カ月後に太子完が即位して楚王となった

※この「秦の人質」の解説は、「春申君」の解説の一部です。
「秦の人質」を含む「春申君」の記事については、「春申君」の概要を参照ください。

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