福嶋親長とは? わかりやすく解説

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福嶋親長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/07 05:31 UTC 版)

 
福嶋 親長
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 天文13年(1544年[1]
官位 右京亮[1]駿河守[1]
主君 大内義興義隆
氏族 大江姓福嶋氏[1]
親弘[2]、宮福(福嶋元長正室)[2]
養子:元長[2]
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福嶋 親長(ふくしま ちかなが)は、戦国時代武将周防国長門国戦国大名である大内氏の家臣。

生涯

詳しい出自は不明だが、南北朝時代安芸武田氏守護代を務めた福嶋氏[3]に生まれ、大内義興義隆の二代に仕える[1]

永正15年(1518年)10月にから帰国した大内義興は在京中に何度も参拝していた伊勢神宮周防国山口に勧請することを決め、弘中武長を惣奉行、熊野貞氏と中山資頼と皆木勝章を作事奉行、親長と野原有祐を普請奉行に任じ、同年11月に始めの式を執り行って高嶺の麓で高嶺両大神宮(後の山口大神宮)の造営に着手した[4]。永正16年(1519年)11月に内宮が落成し、永正17年(1520年)4月には外宮も竣工したため、伊勢御師の高向光定が神体を奉持して山口に下向し、同年6月29日遷宮式を挙行した[4]。遷宮式には大内義興・義隆父子をはじめとして、陶興房、杉興重、杉興道ら重臣以下、大内家中の諸士が多く供奉する盛大な儀式となった[4]

大永5年(1525年3月23日、安芸国への出陣中の功績により、長門国厚東郡万倉郷の内で杉興安に与えられていた15石の地を与えられ[3]、同日に長門守護代内藤興盛が勝間田盛家に対し、親長への所領打渡を命じている[5]。また、同時期に豊前国京都郡屋山村の内の15石の地も与えられた[3]

天文6年(1537年)、安芸国高田郡吉田吉田郡山城を本拠とする国人で大内氏に従属する毛利元就が、大内氏に他意が無いことを示すために人質として嫡男の毛利隆元を周防国山口に送ることとなり、隆元に志道広良、策雲玄龍、桂広信、桂就延、赤川又三郎、国司新右衛門、国司就信、児玉元重らを同行させて、一行は同年12月1日に周防国山口に到着した[6]。この時、親長は嫡男の親弘や同じく大内氏家臣である毛利房元、宗次郎と共に毛利氏の一行を出迎え[7]吉敷郡上宇野令の大蔵山下にある大蔵院を毛利氏の一行の宿所とした[6]

天文10年(1541年9月20日、安芸国佐東郡中庄司の51貫500目の地を大内義隆に安堵された[3]

天文12年(1543年)、大内義隆の出雲遠征(第一次月山富田城の戦い)に従軍した嫡男・親弘が戦死したため[2]、天文13年(1544年7月19日に娘の宮福に対する譲状を記して大内義隆の裁許を受け、宮福を後継者と定めた[注釈 1][8]。同年に死去[1]

脚注

注釈

  1. ^ 天文19年(1550年11月11日に大内義隆が親長の孫に宛てた判物において、天文13年(1544年)7月19日の譲状や裁許状に基づいて、宮福の相続を承認している[8]

出典

  1. ^ a b c d e f 萩藩諸家系譜 1983, p. 1071.
  2. ^ a b c d 萩藩諸家系譜 1983, p. 1072.
  3. ^ a b c d 沼田町史 1980, p. 180.
  4. ^ a b c 山口県文化史 通史篇 1963, p. 399.
  5. ^ 『閥閲録』巻63「福嶋幾次郎」第15号、大永5年(1525年)3月23日付け、勝間田與一(盛家)殿宛て、弾正忠(内藤興盛)書状。
  6. ^ a b 毛利元就卿伝 1984, p. 89.
  7. ^ 『毛利家文書』第397号、「毛利隆元山口滞留日記」天文6年12月1日条。
  8. ^ a b 『閥閲録』巻63「福嶋幾次郎」第18号、天文19年(1550年)

参考文献




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