禅宗批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/19 22:59 UTC 版)
「在家仏教 (河口慧海)」の記事における「禅宗批判」の解説
禅宗に対する批判は、35章を中心に行われている。 その要旨は、 禅宗寺院は、本山・大寺院では釈迦を本尊としているが、それ以外では真言宗と大差無い有り様である。また黄檗宗は中国明末の「念仏禅」を受け継いでいるので、南無阿弥陀仏(ナムオミトフ)を唱えさえする。 禅宗は教外別伝不立文字・直指人心見性成仏を旨とし、釈迦からの一器水瀉一器の伝灯を重視するが、それを保証するはずの二十七祖や過去七仏の「付法偈」は明らかに中国人の創作である。(『景徳伝灯録』の記述からその創作者は傅大士(善慧大士)である蓋然性が高い。) 「拈華微笑」も大梵天王問仏決疑経なる偽経を根拠とした中国人による完全な創作である。 伝灯が無根拠であることに加え、自己の生母を蹴殺した黄檗、自分の子を料理して食った大灯、本尊たる木仏を焼いて臀部を暖めた丹霞、猫を平気で斬った南泉など、禅宗には倫理的に問題のある者が多い。 の4点である。
※この「禅宗批判」の解説は、「在家仏教 (河口慧海)」の解説の一部です。
「禅宗批判」を含む「在家仏教 (河口慧海)」の記事については、「在家仏教 (河口慧海)」の概要を参照ください。
- 禅宗批判のページへのリンク