神明社の創建
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/17 14:30 UTC 版)
明治28年(1895年)には富山から朝山和一郎が率いる38戸(朝山団体)と、同じく富山から沢口期一を団長とする42戸(第二沢口団体)が空知川左岸の下芦別(現在の芦別市中心部)に入植した。 翌明治29年(1896年)、これらの入植者の中から、第二沢口団体の沼田次吉(官設の芦別駅逓所の取扱人)と畠野仁太郎(若連中の会長)の2人が発起人となり、36線南9号の角地(現在の芦別神社よりも南西)に神体として神明を祭祀する4尺(約1.2メートル)四方の小祠を建立した。神体は畠野仁太郎の父である交右衛門が作った御幣だった。この社を「神明社」と名付けたのが芦別神社の濫觴である。 創立は地域の山祭りに合わせた4月12日が選ばれた。この頃には芦別での石炭の採掘が始まっており、炭鉱の神である大山祇神の祭りが山祭りである。これにより春祭を4月12日、秋祭を9月12日と定め、秋祭を朝山・第二沢口の両団体合同で初めての祭典を行った。
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