祇空時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/27 14:39 UTC 版)
正徳4年(1714年)、大坂へ帰郷する途中、箱根早雲寺宗祇墓前で柏州和尚の下剃髪し、宗祇から一字を取って祇空と号した。この記念に『みかへり松』を撰じる。正徳5年(1715年)江戸に帰るも、享保元年(1716年)4月3日江戸を出発し、途中烏山城下の常盤潭北と合流し、芭蕉の足跡を偲び東北地方を巡った。9月13日江戸に帰り、浅草橋場に住んだ。翌年この旅を基に『烏糸欄』を刊行した。
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