社会的学知の自立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 01:40 UTC 版)
「社会政策学会 (日本 1897年)」の記事における「社会的学知の自立」の解説
以上のような会の新しい形態は、国家学からの社会科学(特に経済学)の自立、法学部からの経済学部の分化という状況に対応(東大で法学部から独立した初代の経済学部長に就任したのは会の中心メンバーたる高野岩三郎である)するものであり、それまで全国的・総合的な学会を持たなかった経済学者たちは、この学会を日本で唯一の経済学会として続々と参加した。それとともに、問題の中心をあくまで国家に置き、国家による社会の取りこみという形で社会政策学を構想していた初期の金井延・桑田熊蔵などの立場から、社会を自立したものととらえ、国家もまた社会にとっての手段の一つと考える福田徳三の立場へと、主流が次第にシフトしていった。
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