磨崖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/29 03:45 UTC 版)
崖を磨いてそこに文字を刻んだもので、中国では碑に次いで多い形態の金石文である。北魏の書家・鄭道昭が領内視察の際に刻んだもの、また山の斜面や洞窟の外側に経文を刻んだものなどが有名である。 石門銘 永平2年(509年)の刻。漢中(現在の陝西省漢中一帯)から関中(現在の陝西省西安一帯)へ通じる道が西晋の滅亡により廃道になっていたのを復旧した際、竣工を祝って隧道に彫りつけた磨崖。 鄭文公碑 永平4年(511年)の刻。光州(現在の山東省東部)の刺史となった鄭道昭が、父の鄭羲を偲んで天柱山と雲峯山の2ヶ所に刻したもの。前者を「鄭羲上碑」、後者を「鄭羲下碑」という。「碑」と称するが磨崖である。 泰山金剛経 泰山の中腹に刻された金剛般若経の経文。1字の大きさが50センチ近くもある巨大なものである。
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