石川啄木一族の墓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/18 13:45 UTC 版)
岬への取り付け道路は車一台分程度の幅である。車を利用しない観光客は函館市電谷地頭停留場から登り坂を20分程度上って岬に至るが、この坂の途中の墓地の一角に、石川啄木及びその一族の墓がある。啄木は、2年弱に及ぶ北海道での放浪生活の第一歩を函館の青柳町で記しており、死後、左手に啄木の好んだ大森浜を望むこの地に、友人である宮崎郁雨らの手によって建てられたものである。墓碑には、歌集「一握の砂」に収められた「東海の小島の礒の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる」が刻まれている。この墓の隣には、宮崎郁雨と砂山影二の歌碑が建つ。
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