石の山丘と砂岩石垣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 05:26 UTC 版)
酒船石の乗る丘陵全域は自然のままではなく、版築と石上豊田山の砂岩の切石で改造した人工的な丘であり延長700メートルまで確認されている。亀型石のある祭祀場とみられる北方遺跡から見える部分は磨いた加工がなされ、赤みがかった砂岩に囲まれた視覚を意識したものとなっている。丘陵の西斜面で砂岩石垣よりも標高の低い箇所で、3列に渡り施工された石英閃緑岩の列石を発見し、一部に倒壊・修復跡があり、『日本書記』の斉明2年の「船に石を載せて運び、積んで石の山丘を作ったが、積むたびに自ら崩れた」との倒壊、修復の記事と合うことがわかり天武13年白鳳南海地震による倒壊が考えられる。
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