真説「調子の良い鍛冶屋」
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「調子の良い鍛冶屋」の記事における「真説「調子の良い鍛冶屋」」の解説
サマセット州バス出身のウィリアム・リンタンは、『エアと変奏』を出版しているが、かつては鍛冶職人の見習いだった。つまり、「愉快な鍛冶屋」という通り名は、リンタンにちなんでいるのである。以下の記事からすると、おそらく「調子の良い鍛冶屋」と名づけて出版したのもリンタンだったらしい。 リチャード・クラークの出版物から数ヵ月後に、筆者はバス在の故J.W.ウィンザーと出逢った。彼はヘンデルの盛んな崇拝者で、すべての出版作品を知り尽くしていた。ウィンザー曰く、エッジウェアの鍛冶屋の話はただの法螺で、くだんの題名(「愉快な鍛冶屋」)でヘンデルのレッスンを出版した最初の出版人は、リンタンという名のバスの楽譜商なのだった。ウィンザーは個人的にリンタンの店で楽譜を買っており、リンタンに斯様に名づけた理由を問い質したところ、リンタンはそれは自分の綽名なのだと答えたという。つまりリンタンは、音楽界に転向したとはいえ、元は鍛冶職人として育てられたし、またしばしばその曲を弾くように求められてもいたからだと。リンタンはこの楽章を切り離して出版した。部数を伸ばして儲けを上げるためだった。 — ウィリアム・チャペル(1809年~1888年)による解説、『グローヴ音楽事典』初版(1889年) チャペルは音楽史の権威であり、この逸話もおそらく真実なのかもしれないが、リンタン出版の『エアと変奏』の出版譜は大英博物館には現存していない。同博物館の学芸員でヘンデルの名高い研究家であったW.C.スミスは、1940年現在で、「愉快な鍛冶屋」と題された出版譜を持っていたが、それは British Harmonic Institution 社が刊行したもので、連弾用に編曲された、「1819年」の透かし入りの楽譜であったという。
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