真言宗の解体と「古義八派・各派」の分離独立
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1895年(明治28年)6月、真言律宗(西大寺)に対して独立が認可される。 1900年(明治33年)9月、真言宗高野派(金剛峯寺)・真言宗御室派(仁和寺)・真言宗大覚寺派(大覚寺)・真言宗醍醐派(醍醐寺)・新義真言宗智山派(智積院)・新義真言宗豊山派(長谷寺)・律宗に対して独立が認可された。さらに、1907年(明治40年)、真言宗東寺派(東寺)・真言宗山階派(勧修寺)・真言宗泉涌寺派(泉涌寺)・真言宗小野派(随心院)が独立し、真言宗は解体された。 真言宗各派の独立により、東寺を真言宗の総本山とする制度が終焉する。 古義真言宗系宗派は、古義八派(真言宗高野派・真言宗御室派・真言宗大覚寺派・真言宗東寺派・真言宗山階派・真言宗泉涌寺派・真言宗醍醐派・真言宗小野派)となり、古義八派連合制度を組織した。 1925年(大正14年)、古義八派連合制度は解体され、宗派の自主独立制が採られた。 1926年(大正15年)、真言宗高野派・真言宗御室派・真言宗大覚寺派は、合同して古義真言宗を組織した。古義真言宗はほかの古義真言宗系宗派との間に真言宗各派協約を締結し、教師・住職の人材交流・相互協力を行った。
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