真松千代伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:05 UTC 版)
北山の時代(14世紀終盤か)、島のそれぞれの郷村において祝祭職として祝女(ノロ)が置かれており、毎年、今帰仁城の北山王の元へ参勤する常となっていた。ある年、上城ノロ(現知名町)が容姿麗しき姪を伴い王に参勤したところ目に留まり妾とされ、寵愛を受け王子を産んだ。真松千代(ままちぢよ)である。この時の北山王は、一説には北山2代珉または3代攀安知とも言われるが諸説ある。真松千代は成長すると沖永良部島に移り永良部世之主(えらぶよのぬし)として君臨した。世之主は玉城(現和泊町)フバジョに居館するが、後蘭孫八に命じ、少し離れた内城(同町)に城を構えた。 1416年に北山が中山王国に滅ぼされ、中山からの交渉使節が来島、与和の浜(和泊町)に使者の船が接岸すると、世之主は侵攻と誤認して后の真照間兼之前(中山王の娘)、子らと共に一族もろとも自害したと伝わる。以降は中山王国、次いで琉球王国に服属する。島に伝承されている文化・言語・風俗などは、往時の北山王国の時代にその多くが由来する。
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