監督就任のきっかけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/21 15:32 UTC 版)
監督としてのキャリアのスタートとなった1995年のNEC山形の監督就任はある意味突発的とも言えるものであった。石崎と東農大サッカー部の同期にあたる長澤和明(ジュビロ磐田元監督)がNEC山形の監督に就任することが内定しており、その長澤の要請により石崎のコーチ就任が内定していた。しかし当時8歳の長澤の長女(後に女優となる長澤まさみ)が「静岡を離れたくない」と山形への転居を嫌がったため、長澤はNEC山形監督への就任を辞退した(その直後に長澤はL・リーグの鈴与清水FCラブリーレディースの監督に就任している)。そのため、NEC山形は長澤の代役として石崎に監督就任を要請し、石崎がこれを受諾して監督を務めることになった。 また、2006年の柏レイソルの監督就任も偶然のタイミングによるものだった。東京ヴェルディのコーチを解任された後、某Jリーグクラブのサテライト監督の就任が決まっていた石崎は、最終交渉を夕方に控えていた日の午前中、夫人と映画館に居たところに石崎の携帯に柏からの電話がかかってきたという。最初は無視したもの2度目は「緊急の要件かな!?」と思い電話に出たところ、監督就任要請の電話であり、このオファーで急転、柏の監督就任が決まった。石崎本人は後に「おかげで映画の一番いいシーンは見られんかった」との発言を残している。
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