益田競馬場休止による移籍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 08:35 UTC 版)
「御神本訓史」の記事における「益田競馬場休止による移籍」の解説
騎手デビューの地であった益田競馬場が休止になると正式決定した時、スター性の高い御神本の移籍先を巡って激しい争奪戦が発生したとされる。 これについては移籍先となった大井競馬、それ以外の複数の地方競馬はもとより、地方競馬のトップジョッキーや外国人騎手の参戦の影響による若手騎手の不振に悩む日本中央競馬会(JRA)までもが若手騎手の目玉に成り得る逸材として勧誘に動いたと当時の競馬マスコミなどは伝えている。 しかし、JRAについては、当時の騎手免許の制度上、JRAの騎手免許試験を受ける必要があり、そこがネックになったとされる。JRAには既にこの年より「過去5年間に中央競馬で年間20勝以上の成績を2回以上挙げた騎手に対し、1次試験を免除する」という特例(安藤勝己の受験を契機に導入された通称「アンカツ・ルール」)があったものの、『廃止(休止)された地方競馬場の若手の有望騎手の救済的な受け入れ』を想定した形でJRAが騎手免許試験の新特例制度を御神本獲得のために設けるのではないか、という憶測が競馬マスコミなどの間では盛んに聞かれたほどに、御神本の動向は大いに注目された。 また、移籍先となった大井競馬場についても、他場からの騎手の移籍は原則として受け入れない方針だっただけに、御神本の受け入れを表明した際には、異例のこととして南関東競馬の関係者やファンから驚きの声が挙がったという。
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