益田池碑銘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/07 21:51 UTC 版)
益田池の完成にともない、空海(宝亀5年〈774年〉 - 承和2年〈835年〉)が揮毫した碑文「大和州益田池碑銘幷序」によれば、藤原緒嗣と紀末成が旱魃(かんばつ)の備えと土地の開拓のために造池を計画し、間もなく許可を得ると着工された。その工事に人夫はもとより車や馬が数多く集まり無事竣工に至ったとされる。これは、弘仁12年(821年)に空海が改修した讃岐国(香川県)の満濃池の技法を取り入れた成果ともいわれる。ただし、益田池の工事に空海は直接携わってはおらず、代わりに弟子の真円らが取り組んでいる。
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