百間堤
百間堤
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 00:46 UTC 版)
甚九郎は堤防作りに長けており、巧に土を積み上げた。ここで棚築き(たなきづき)と呼ばれる技術が使われた。堤の築きたい所に油の浸みた木の橋を渡し、その上に燃料の枯れ枝・松葉、土や石を載せる。そして木橋を燃やし土を落とす。 こうして寛永10年(1633年)2月、ついに甚九郎は96間(約175m)の大堤を完成させた。これを百間堤(ひゃっけんづつみ)というが、彼の功績を称え河内屋堤(かわちやづつみ)とも呼ばれている。築堤に使用した土の量は総じて490,000立方メートルであった。 甚九郎は褒美に土地を与えられた。その荒地は河内屋新田(かわちやしんでん)と名づけられたが、甚九郎は見事開墾し、村高は114石となった。河内屋新田は現在でいうと、小牧市北西部の端に位置する地域である。
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