白日会会長就任以降
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1986年より白日会会長を務める。同年、「巨匠の素顔」と題した伊藤のテレビ番組がフジテレビにて放映された。翌1987年には出生地兵庫県出石町主催による「郷土が生んだ現代洋画壇の重鎮 伊藤清永展」が開催された。 1989年、出石町立伊藤美術館(現豊岡市立美術館「伊藤清永記念館」)が開館、伊藤は出石町名誉町民となった。1991年文化功労者顕彰、同年日展顧問に就任。1996年文化勲章受章、同受章を記念し翌1997年、読売新聞社主催による「鮮麗なる裸婦の輝き 伊藤清永展 文化勲章受章を記念して」が開催された。また1997年には郷里児童を対象とする「伊藤清永賞子ども絵画展」が創設された。 2001年6月5日、長野県軽井沢町のアトリエで制作後に急性心不全により病院に運ばれ、そのまま死去。90歳没。急死により製作途中の「ばら」など作品数点が絶筆となった。
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