白山城と白山権現
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/10 15:49 UTC 版)
「白山城 (甲斐国)」の記事における「白山城と白山権現」の解説
白山城跡の南東には白山権現(白山神社)が所在し、慶応4年(1868年)『甲斐国社記・寺記』に拠れば、かつて当社には慶安2年の徳川氏朱印状が伝来し、その頃には神社としての態勢が整えられていたと考えられている。神主は大村氏。また、『社記』に拠れば貞享2年(1684年)の史料に社領2石8斗が安堵され、9通の徳川氏朱印状が伝来していたという。 享保15年(1730年)鍋山村村明細帳に拠れば諏訪大明神はじめ末社8社(のちに14社)が存在し、鍋山村で最も社格の高い神社となっている。なお、『甲斐国志』では『社記』所載と同様の由緒を記している。江戸末期には武田氏の家紋武田菱の由来となる菱岩伝承が白山城に結び付けられ、甲斐源氏が甲斐国へ進出した平安時代には当社が存在したとする由緒が形成され、白山城の主郭部に城主尉大明神・城翁稲荷大明神が勧請された。
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