発売時の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 07:12 UTC 版)
D&D社がブレン・テンのプロトタイプを発表したのは1980年頃の事だったが、本格的な市販までには5年という時間を要し、ようやく1984年に発売された。だが、販売は当初から躓く。まず、イタリアのMec-gar社に外注したマガジンの生産が遅れ、その急場を凌ぐべく、予約購入したユーザーにマガジンの無い銃を発送し、追加でマガジンを送ることとした。そして、約1年後にマガジンの発送を開始したものの、発送されたマガジンは熱処理に問題がある不良品だった。D&D社はMec-gar社に抗議し、再度マガジンを発送させるが、今度は寸法が銃に合っておらず作動不良の原因になった (ただし、寸法をミスしたのはフレーム側だったという)、D&D社はマガジンをひとつひとつ改造して対応したが、その後寸法の合ったマガジンが製造された。ユーザーの中には直接D&D社に乗り込んでマガジンを入手したり、「訴訟を起こす」と訴えてマガジンを入手する者までいた。 さらに当時は使用される10mmオート弾薬を製造するメーカーがスウェーデンのノルマ社のみで、種類も165grFMCと200grFMCの2種類しかなく、入手が難しいという問題を起こした。また、20発入り1箱が13~14ドルという値段は.45ACP弾や9mmパラベラム弾に比べ高価でこれも販売の足を引っ張った。なかには「マガジンの無い撃てない銃の弾なんて仕入れても売れない」と言う者もいるほどで、状況は好転しなかった。ノルマ社の製造するこれらの弾薬は当初銃口初速が公称1,200~1,400ft/sと謳われていたが実際には1,140ft/s程度で宣伝文句ほどのパワーは無くユーザーを失望させたが、それでも初活力は576ft.lbsを発揮し.357マグナムの509~669ft.lbsに匹敵した。 他にも、ブレン・テンは発売から暫く後に射撃時の衝撃でフレームがひび割れる事例が発生し、銃本体の強度不足が指摘される事態となった。 発売と同時にブレン・テンはTVドラマ『マイアミ・バイス』に登場するが、これはこの番組の射撃インストラクターを務めたIPSC競技シューターのジム・ズビアナ(Jim Zubiena)の薦めによるという。番組で使用されたブレン・テンは入手が容易な.45ACP弾の空砲が使用できるようにされ、夜間のシーンで見栄えがするようスライドがクローム・メッキされるなど加工されたものである。2丁が用意され、シリアルナンバー#83SMXPCM1と#83SMXPCM2は撮影用の銃のみに用いられたパターンのナンバーだった。この2丁の銃のうち#83SMXPCM1は撮影終了後マイアミのレストラン「プラネット・ハリウッド・マイアミ支店」に展示されていたが、その後ラスベガス店に移動され展示された。
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