疑念とその結果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:13 UTC 版)
アクラガス市民は占拠したカルタゴ軍野営地で、救援軍と合流した。しかしそこでアクラガスの将軍たちがカルタゴ軍のヒミルコから賄賂を受け取っていたため追撃を拒否したとのゴシップが救援軍の間に広がった。即時に政治評議会が開催され、カマリナのギリシア人は、アクラガスの将軍5人を公然と非難し、将軍4人が石打刑で処刑された。アルゲウスという名の将軍のみが、その若さゆえに救われた。処分された将軍に代わる新規の士官たちが選出された。ギリシア側の総司令官であるダフナエウスは、カルタゴ軍の主力野営地(西部野営地)を偵察し、直接攻撃をかけることには反対した。その代わり、夏の間、軽歩兵と騎兵でカルタゴ軍に嫌がらせ攻撃を行い、補給線を断ち切り続けた。他方、アクラガスのギリシア軍は、シュラクサイからの船隊によって補給を受け続けていた。カルタゴ軍はすぐに食糧不足に直面し、特に傭兵は飢えのために不穏な動きを見せた。ヒミルコは軍を一つに維持することが困難となってきた。冬が近づくにつれて、カルタゴ軍の状況は深刻から破滅的なものへと悪化した。
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