田油津媛の先々代説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 04:52 UTC 版)
『日本国号考』の中で新井白石が邪馬台女王国を筑後国山門郡に比定したのを承けて、星野悟は、邪馬台連合国の女王卑弥呼は山門(ヤマト)を本拠とする土蜘蛛(土着の豪族)女王田油津媛(たぶらつひめ)の先々代女王にあたるとした。『日本書紀』によると田油津媛は仲哀天皇・神功皇后による西暦366年頃の九州遠征の際に成敗されたという。福岡県みやま市の老松神社には、田油津媛を葬ったとされる蜘蛛塚とよばれる古墳が残されている。若井敏明の説でも同じく田油津媛は邪馬台国(九州女王国)の最後の女王であり、神功皇后(畿内ヤマト政権)によって田油津媛が誅殺されたというのがすなわち「邪馬台国の滅亡」であるとする。 『日本書紀』では田油津媛を土蜘蛛だというのみで熊襲とはしておらず、後述の熊襲の女酋説とは区別される。中国史料では卑弥呼の死去年は西暦247~8年頃である。
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