若井敏明の説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 14:52 UTC 版)
上記の若井説によれば、「叔母の青海皇女は、後継をどうすればよいか諮問されて飯豊女王を指名しただけで、青海皇女は執政はしていない。一方、姪の飯豊女王は執政はしたが諮問に与ったのではなく、青海皇女の指名に基づいて飯豊女王が執政したのである」という。また青海郎女は巫女というわけではなくて、単に皇位継承問題の対策を諮問されて、飯豊王の名を回答しただけであり、神託というようなものとはみなしていない。また忍海部(青海郎女の部民)と忍海宮はもともと青海郎女のもので、「市辺押歯王が殺された時に飯豊王女は叔母の宮に身を寄せたのであり、男子と関係をもったという伝承も姪の飯豊王女の方」とする。
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