田健治郎台湾総督と内地延長主義
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「内地延長主義」の記事における「田健治郎台湾総督と内地延長主義」の解説
田総督も、民族自決の風潮に応えるため漸進的な「内地延長主義」を提起し、「内台融合」、「一視同仁」などの方針を唱えた。これに基づき、1920年(大正9年)地方制度の改革を実施し、州、市、街、庄の官選議会を創設した。翌1921年(大正10年)2月台湾総督府評議会(中国語版)を設置した。さらに1922年(大正11年)1月には、「三一法」(「台湾ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律」明治40年第31号法律のこと。台湾総督の権原のいくつかが削られただけで、内容は「六三法」と大きな違いはない。)を「法三号」(「台湾ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律」大正10年法第3号に改め、原則的に日本の法律を台湾に適用するとした。翌1923年(大正12年)には、「治安警察法」を台湾に施行した。この他にも、台湾人官吏特別任用令を公布し、台湾人と日本人(内地人)の共学を許し(内台共学)、台湾人と日本人との結婚も認められた(内台共婚)。
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