生活および労働の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 01:30 UTC 版)
「日本人戦争捕虜尋問レポート No.49」の記事における「生活および労働の状況」の解説
ミッチーナでは、彼女らは通常2階建ての大きな建物(学校の校舎)に住んでおり、個室で生活し、仕事をした。食事は、日本軍が配給しておらず、「慰安所の楼主」が調達した食料を買っていた。 ビルマでの慰安婦の暮らしぶりは、ほかの場所(慰安所)と比べれば贅沢ともいえるほどであった。 彼女らは食料物資の配給は少なかったが、欲しいものを買えるだけの多くのお金を持っており、暮らし向きはよかった。彼女らは、故郷から慰問袋を受け取った兵士から沢山の贈り物をもらっており、贈り物でまかなえない物、服、靴、タバコ、化粧品を買うこともできた。 将兵と共に、スポーツ行事を楽しんだ。また、ピクニック、娯楽、夕食会に出席した。蓄音機も持っており、都会では買い物に出かけることも許された。
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