現存する「新港文書」の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/07 14:21 UTC 版)
「新港文書」の記事における「現存する「新港文書」の由来」の解説
1928年、台湾大学の前身である台北帝国大学が台北市に設立されると、その下部機関として「言語学研究室」が設置された。それから暫く後、研究室の小川尚義は台南新港社一帯の古文書を収集し、1933年に村上直次郎の手により『新港文書(Sinkan Manuscripts)』として出版された。収録されたのは109件の「番仔契」であり、内87件(21件は漢番対照表記)は新港社のものであった。このほか卓猴社のものが3件、麻豆社が16件、大武壠社が1件、下淡水社が1件、茄藤社が1件となっている。契約年代が確定できるものとしては最古のものは1683年の麻豆文書、最新のものは1813年に作成された21号新港文書であった。
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