珠洲市長選挙をめぐる混乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 15:38 UTC 版)
「珠洲原子力発電所」の記事における「珠洲市長選挙をめぐる混乱」の解説
1993年4月18日、当時原発立地を推進していた現職の林幹人(はやし みきんど)と建設反対派の樫田準一郎(かしだ じゅんいちろう)で珠洲市長選挙が行われたが、投票数に対し投票総数が16票多かったことから不正選挙の疑惑が浮上した。 建設反対派は選挙無効を石川県選挙管理委員会に申し立てたが、委員会はこれを却下した。建設反対派は同年12月に名古屋高等裁判所金沢支部に選挙無効を提訴し、1995年12月11日に選挙無効の判決が出された。その後、石川県選挙管理委員会は最高裁判所に上告するが、1996年5月31日に上告を棄却する決定が行われ、選挙の無効が確定した。 同年7月14日にやり直し選挙が行われたが、不正を行ったとされる林は立候補できず、珠洲市職員だった貝蔵治(かいぞう おさむ)を後継候補に指名した。この時も原発立地推進を唱える貝蔵が当選した。 その後、推進派は継続したが、2006年、反対派である現市長(2016年現在)の泉谷満寿裕が立候補し初当選。住民の意思のもと原発設置の反対が確立された。
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