王女イサベル・クララ・エウへニアとカタリナ・ミカエラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/28 07:39 UTC 版)
スペイン語: Las infantas Isabel Clara Eugenia y Catalina Micaela 英語: Infantas Isabel Clara Eugenia and Catalina Micaela |
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作者 | アロンソ・サンチェス・コエリョ |
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製作年 | 1575年 |
種類 | キャンバス上に油彩 |
寸法 | 135 cm × 149 cm (53 in × 59 in) |
所蔵 | プラド美術館、マドリード |
『王女イサベル・クララ・エウへニアとカタリナ・ミカエラ』(おうじょイサベル・クララ・エウへニアとカタリナ・ミカエラ、西: Las infantas Isabel Clara Eugenia y Catalina Micaela, 英: Infantas Isabel Clara Eugenia and Catalina Micaela)は、16世紀スペインの画家アロンソ・サンチェス・コエリョが1575年にキャンバス上に油彩で制作した肖像画である。スペイン王室のコレクション中の作品として、1747年に王宮 (マドリード)、1794年にブエン・レティーロ宮殿の目録に記されており[1]、1819年以来[2]、マドリードのプラド美術館に所蔵されている[1][2][3]。
作品
フェリペ2世 (スペイン王) とその3番目の妻エリザベート・ド・ヴァロワの間に生まれた2人の娘イサベル・クララ・エウヘニア (1566-1633年) とカタリナ・ミカエラ (1567-1597年) [1][2][3]は、幼少のころからフェリペ2世の宮廷画家の1人であったサンチェス・コエリョにより繰り返し描かれた[1]。フェリペは2人の娘たちを非常に愛していたが、王家の子供の成長を記録する肖像画は単なる家族愛を表すものではなく[1]、王家の継承と政略結婚のための重要な道具であった[1][3]。
姉のイサベル・クララ・エウヘニア (左) は1599年にオーストリア大公アルブレヒトと結婚した後、ネーデルラントの統治にあたり、1633年に子供を残すことなく亡くなった。一方、カタリナ・ミカエラ (右) は1585年にサヴォイア公カルロ・エマヌエーレ1世と結婚し、父フェリペに1年先んじて1597年にトリノで亡くなった[1][2]。
本作は2人がいっしょに描かれた最後の肖像画である[2]。姉妹はほぼ同じ背丈で、ほかの肖像画よりもはるかにお互いに似ているが、それは画家と注文者の意図によるものであろう。後に描かれた肖像から判断すると、実際に2人はあまり似ていない。姉イサベル・クララ・エウヘニアは父親似の金髪で、妹カタリナ・ミカエラは母親譲りの黒髪であった。当時9歳と8歳の王女たちは幼くも婦人の肖像画の型に則っており、子供らしさはその顔つきにわずかにうかがえるのみである[2]。彼女たちが鑑賞者と距離を置き、厳めしく無表情なのは本作が子供の肖像ではなく、王の娘の肖像として表されているからにほかならない[1]。厳正で冷たい優雅さ、表情や動作の乏しさ、鑑賞者との隔たり、さらに王家の個人の表現ではなく、王制を認識させる肖像画はサンチェス・コエリョの特徴である[4]。
画家は奥行き感を出すために左側の王女を少し手前に配置すると同時に、右側の王女を左に向けて正面観を崩している。しかし、ほぼ平面的な空間に組み込まれた彼女たちの身体は、円錐形のスカート、腕のポーズなどが生みだす幾何学的で硬いフォルムのために人形のように見える。また、娘2人は離れて立ち、視線を交わすこともなく、孤立していて、イサベル・クララ・エウへニアが差し出す花輪だけが両者を結びつけている[1][2]。
この肖像画は人物像、抑制された構図、巧みな質感描写、厳格な雰囲気といった点で、フランドルの肖像画の影響を示している。一方、その格調高い簡素さ、人文主義的作意においてイタリアの肖像画の伝統にもつながる。また、姉が妹に差し出す花輪の描き方はほかの細部の筆致とは異なり、闊達で、ヴェネツィア派の影響を見ることができる[2]。
脚注
参考文献
- プラド美術館展 スペインの誇り 巨匠たちの殿堂、東京都美術館、プラド美術館、読売新聞社、日本テレビ放送網、美術館連絡協議会、2006年刊行
- 国立プラド美術館『プラド美術館ガイドブック』国立プラド美術館、2009年。ISBN 978-84-8480-189-4。
外部リンク
- 王女イサベル・クララ・エウへニアとカタリナ・ミカエラのページへのリンク