猪股謙二郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 猪股謙二郎の意味・解説 

猪股謙二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/01 13:38 UTC 版)

猪股謙二郎
いのまた けんじろう
生年月日 1889年12月9日
出生地 日本 秋田県
没年月日 (1975-06-10) 1975年6月10日(85歳没)
出身校 明治大学予科
前職 農業
所属政党 立憲民政党

選挙区 秋田県第2区
当選回数 2回
在任期間 1930年 - 1936年1月21日

本荘市長
本荘町長
当選回数 2回
在任期間 1946年 - 1948年
1951年 - 1955年1月17日

選挙区 由利郡選挙区
当選回数 3回
在任期間 1922年 - 1930年2月


石沢村会議員
テンプレートを表示
猪股謙二郎

猪股 謙二郎(いのまた けんじろう、1889年12月9日[1] - 1975年6月10日[2])は、日本政治家衆議院議員(2期)。初代本荘市(現:由利本荘市

経歴

秋田県出身。明治大学予科で学ぶ[2]。帰郷後、営農し[2]石沢村村議、同助役、同村長などを歴任した[2]1922年11月、秋田県会議員補欠選挙に由利郡選挙区から立候補して当選した[3]。その後、1923年1927年にも当選した[4]1930年2月に県議を辞職した[4]。同年の第17回衆議院議員総選挙において秋田2区(当時)から立憲民政党公認で立候補して初当選。この間、文部大臣秘書官を歴任した[2]1932年第18回衆議院議員総選挙でも再選。1936年第19回衆議院議員総選挙で落選した[5]。その後、1946年本荘町長に就任した[1]が、1948年公職追放となる[1]。2年後の1950年に追放解除[1]。翌1951年の町長選挙で現職を破って、本荘町長に復帰した[6]1954年に本荘市が発足するとともに初代市長に就任[1]。翌1955年1月17日に一身上の都合で市長を辞職した[7]

1955年本荘市長選挙

本荘市発足後初の選挙に立候補したが、佐藤憲一に敗れた[8]


※当日有権者数:20,452人 最終投票率:91.8%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
佐藤憲一39-11,366票60.9%-
猪股謙二郎65-6,983票37.4%-
逸見久吉48-306票1.6%-

この他、由利銀行監査役[2]、鳥海新報社、由利水力発電、本荘運送などの各社長[2]、秋田誉酒造会長なども務めた[2]

脚注

  1. ^ a b c d e 『日本の歴代市長』第1巻、305頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』49頁。
  3. ^ 秋田県議会百年のあゆみ 74コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ a b 秋田県議会百年のあゆみ 75コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』105頁。
  6. ^ 本荘市史 通史編 3 352コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 本荘市史 通史編 3 374コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 本荘市史 通史編 3 375コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「猪股謙二郎」の関連用語

猪股謙二郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



猪股謙二郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの猪股謙二郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS