猪瀬直樹著『日本人はなぜ戦争をしたか』
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「市川伊雄」の記事における「猪瀬直樹著『日本人はなぜ戦争をしたか』」の解説
「東京裁判で小磯國昭被告の日本側弁護人であった三文字正平弁護士は、なんとか遺骨を回収しようとねらっていた。たまたま久保山火葬場のすぐ上に興禅寺という寺があり、その住職市川伊雄と面識があったからその旨を伝えた。市川住職は飛田火葬場長と懇意であった。三文字弁護士は処刑の夜、興禅寺に待機していた。興禅寺下方の火葬場を観察していると、ホロ付きトラックが到着した。午前七時半である。カービン銃を手にした米兵が火葬場を取り囲んだので事態はすぐに了解できた。・・・・・・火葬には飛田場長と磯崎火夫があたった。・・・・・・遺灰は米軍が持ち去ってしまう。彼らがもっとも恐れていたのは、七人が殉教者になることだった。遺灰は飛行機で空から撒くことになっていた。米軍が持ち去る前、遺灰はいったん行路病者などの遺骨を入れる無縁の骨捨て場に置かれていた。12月26日の深夜、飛田場長と市川住職は、ハダシでそこに近づく。御影石のフタをとって穴をのぞくと、七人分の真新しい遺灰がひと山にまとめられ青白く光って浮かんで見えた。火かき棒であわてて、一部を収納した。」 — 猪瀬直樹、日本人はなぜ戦争をしたか
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猪瀬直樹著『日本人はなぜ戦争をしたか』
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「興禅寺 (横浜市南区)」の記事における「猪瀬直樹著『日本人はなぜ戦争をしたか』」の解説
「東京裁判で小磯国昭被告の日本側弁護人であった三文字正平弁護士は、なんとか遺骨を回収しようとねらっていた。たまたま久保山火葬場のすぐ上に興禅寺という寺があり、その住職市川伊雄と面識があったからその旨を伝えた。市川住職は飛田火葬場長と懇意であった。三文字弁護士は処刑の夜、興禅寺に待機していた。興禅寺下方の火葬場を観察していると、ホロ付きトラックが到着した。午前七時半である。カービン銃を手にした米兵が火葬場を取り囲んだので事態はすぐに了解できた。・・・・・・火葬には飛田場長と磯崎火夫があたった。・・・・・・遺灰は米軍が持ち去ってしまう。彼らがもっとも恐れていたのは、七人が殉教者になることだった。遺灰は飛行機で空から撒くことになっていた。米軍が持ち去る前、遺灰はいったん行路病者などの遺骨を入れる無縁の骨捨て場に置かれていた。12月26日の深夜、飛田場長と市川住職は、ハダシでそこに近づく。御影石のフタをとって穴をのぞくと、七人分の真新しい遺灰がひと山にまとめられ青白く光って浮かんで見えた。火かき棒であわてて、一部を収納した。」( 猪瀬直樹『日本人はなぜ戦争をしたか』(小学館)173-174頁)
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猪瀬直樹著『日本人はなぜ戦争をしたか』
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「興禅寺 (横浜市)」の記事における「猪瀬直樹著『日本人はなぜ戦争をしたか』」の解説
「東京裁判で小磯国昭被告の日本側弁護人であった三文字正平弁護士は、なんとか遺骨を回収しようとねらっていた。たまたま久保山火葬場のすぐ上に興禅寺という寺があり、その住職市川伊雄と面識があったからその旨を伝えた。市川住職は飛田火葬場長と懇意であった。三文字弁護士は処刑の夜、興禅寺に待機していた。興禅寺下方の火葬場を観察していると、ホロ付きトラックが到着した。午前七時半である。カービン銃を手にした米兵が火葬場を取り囲んだので事態はすぐに了解できた。・・・・・・火葬には飛田場長と磯崎火夫があたった。・・・・・・遺灰は米軍が持ち去ってしまう。彼らがもっとも恐れていたのは、七人が殉教者になることだった。遺灰は飛行機で空から撒くことになっていた。米軍が持ち去る前、遺灰はいったん行路病者などの遺骨を入れる無縁の骨捨て場に置かれていた。12月26日の深夜、飛田場長と市川住職は、ハダシでそこに近づく。御影石のフタをとって穴をのぞくと、七人分の真新しい遺灰がひと山にまとめられ青白く光って浮かんで見えた。火かき棒であわてて、一部を収納した。」( 猪瀬直樹『日本人はなぜ戦争をしたか』(小学館)173-174頁)
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