狗留孫山多宝院端山寺と里坊
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「狗留孫峡」の記事における「狗留孫山多宝院端山寺と里坊」の解説
狗留孫神社は栄西禅師亡き後、久しく荒廃していたが、応永二十年(1413)に尊海上人が真言宗に改めて狗留孫山多宝院端山寺を興した。端山寺のご神体は「阿弥陀」「薬師」「観音」の三尊で、栄西禅師が熊野権現を勧請されたものと言われている。なお、端山祇命はこれらの化身と考えられていたため、仏像をご神体にしても何ら不審を抱かれなかった。 栄西禅師が開山し、尊海が二世、三世が海印、四世・光意、五世・海存、六世・勢海、七世・珍海、八世・盛興と伝えられる。いつの頃からか山上にある端山寺には寺番を置いて、杉水流佐山に里坊と釈迦堂を建て座主が移り住んだ。里坊とは山寺の僧などが人里に構える僧坊(住居)のことで、いまも里坊跡から南に200mほどのところにある同寺の住職群墓地には九世・頼盛以下の墓碑が並んでいる。
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