犬山成瀬氏
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正一の長男、正成は家康の小姓として武功を上げ、栗原藩主に封ぜられ諸侯に列した。後に正成は犬山城を与えられ御附家老となり、隼人正に叙せられるが、明治維新まで、犬山成瀬氏は陪臣の扱いを受け続けることになる。このために紀州や水戸の附家老と連携して大名への昇格を画策し、明治維新後、9代当主成瀬正肥は悲願の立藩を果たし、犬山藩の藩知事となり、華族に列した。華族令が発布された際には旧附家老系諸侯は江戸時代から諸侯だった家と区別され、当初の爵位は男爵だったが、成瀬家については維新の功績により1891年に子爵に陞爵した。 11代当主に東京大学教授で国文学者の成瀬正勝。また成瀬氏は2004年まで国宝の犬山城を代々私有していた。
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