特別警備隊・警備隊の編成と解体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 04:15 UTC 版)
「機動隊」の記事における「特別警備隊・警備隊の編成と解体」の解説
機動隊の起源は、1933年(昭和8年)10月1日に内務省警視庁が設置した特別警備隊に遡る。これは桜田門事件、血盟団事件、五・一五事件など、不穏な社会情勢に対処するために創設されたもので、行幸啓の警衛、国葬や大衆運動の警備、災害時の救助活動等に従事して集団警備力を発揮し、「昭和の新選組」「警官の華」の通称で広く市民からも親しまれた。 また第二次世界大戦後期、日本本土空襲が本格化すると、警備・救護の必要性が激増したこともあり、1944年4月12日、勅令第243号により主要な府県に警備隊が設置されることとなった。東京でも、同年4月21日付で警視庁警備隊(6個大隊、計2,550名)が発足し、特別警備隊はこれに発展的に解消して廃止された。 日本の降伏を受けて、1946年1月16日、連合国軍最高司令官総司令部は警備隊の解隊を指示した。これを受けて2月16日には警視庁警備隊も解隊されて、同日設置された防護課(234名)がその役割を引き継いだ。しかし連合国軍占領下の日本では集団犯罪や急進的な社会運動に伴う暴動などが多発しており、このような少人数では対処が難しい状況も多かった。
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