点の勝負から線の勝負へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/05 00:24 UTC 版)
競輪といえば、フラワーライン出現以前は点と点の戦いが主であった。しかし以後はどのラインにつくかによって着順も大きく左右されるという、線の勝負へと変わってしまった。中野も当初は自身のシンパライン(久保千代志、高橋健二、藤巻昇ら)を自然と結成し、やがて井上茂徳が頭角を現しはじめると、『九州軍団』という、これまた競輪界の一大勢力を築き上げた。そして1980年初頭から半ばまでは、フラワーVS九州という文字が、競輪関係マスコミに上がらない日はないといっても過言ではない状況となった。
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