濃宜水通とは? わかりやすく解説

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濃宜水通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/18 15:37 UTC 版)

濃宜 水通(のぎ の みなみち)は、奈良時代の人物・儒学者官位従五位下信濃介

経歴

平城宮木簡によると、天平宝字8年(764年)に、直講正八位上として大学寮の宿直をつとめたことが見える[1]

天平神護3年(767年)2月、称徳天皇が臨幸し、大学の釈奠(せきてん)を行った際に、問者(座主が訓読する内容に対して質問する者)となって、昇叙されている。この時の官職は大学少允。なお、彌永貞三の説によると、この釈奠は、天皇が出御した唯一の事例で、吉備真備よりもたらした儀式にのっとったものだという[2]

神護景雲2年(768年)7月に、地方官の信濃介に就任する。その翌年、補佐役の信濃員外介として、弓削大成が任命されている[3]

官歴

注記のないものは『続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ 『平城宮木簡』四 - 3753
  2. ^ 岩波書店『続日本紀四』152頁注一七
  3. ^ 『続日本紀』神護景雲3年8月19日条

参考文献

関連項目

外部リンク

  • 木簡庫(天平宝字八年木簡)[1]



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