激戦へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 13:06 UTC 版)
ホンダ社長の河島は、アメリカホンダ社長の吉沢幸一郎を呼び戻して専務取締役・国内二輪本部長に任命し、販売の陣頭指揮を取らせる。四輪車戦略は変わらず重要事項であったが、河島は「今、頭の中の6割を二輪車が占め、四輪車は4割でしかない」と事ある毎に公言した。 タクトで先鞭をつけたホンダは、1982年のスクーター販売計画を100万台と定めた。これは業界見込みによる市場規模が年間160万台のところ、60%以上のシェアを目標に掲げたことになる。そのために2月の「リード」発売に始まり、矢継ぎ早に女性向けや高級車などを市場に投入した。さらに、30社程存在していたオートバイ販売代理店の権益を高値で買い取り、メーカー直轄として影響力と営業対応力を高める戦略にも打って出た。これには「人の心を金で買う行為」との非難も上がったが、攻撃に転じたホンダは動じなかった。 ヤマハも手綱を緩めず、同年(1982年5月 – 1983年4月期)の全オートバイ販売計画を国内150万台、輸出220万台と策定した。増産に対応するため新たに約1,000人を雇用し、マツダと提携し系列自動車ディーラーを販売網に加えるなど、着々と手を打った。 ホンダ・リード(写真は80ccモデル)
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