漢の校尉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/20 05:52 UTC 版)
漢の制度において、将軍が兵を領する場合、部・曲が置かれる。部には校尉(官秩比二千石)、軍司馬(官秩比千石)が置かれる。この部を率いるのが校尉である。部の下に曲があり、軍候(官秩比六百石)が置かれる。曲の下には屯があり、屯長(官秩比二百石)が置かれる。 また、城門校尉、中塁校尉、屯騎校尉、歩兵校尉、越騎校尉、長水校尉、射声校尉、虎賁校尉の八校尉や、胡騎校尉、司隷校尉、西域副校尉(城門校尉から西域副校尉まで、官秩は比二千石)、後漢末の西園八校尉など、高級武官の名称に「校尉」が多く使われている。 現在の中国人民解放軍や中華民国国軍では、佐官に当たる階級は「校」と書かれるが、これはこの校尉に由来する。これについては事実上日本の関東軍の支援部隊であった旧満洲国軍でも同様に佐官に当たる階級は中国式の「校」となっていた。漢語の「佐」には「補佐する」という意味であるため、部隊長・指揮官の称号としては違和感があるからという主張があるとされる。
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