漢への帰順
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 02:10 UTC 版)
永嘉元年(307年)10月、石勒は上党の胡人の部族長を伴い、匈奴の劉淵が興した漢(後の前趙)に帰順して輔漢将軍・平晋王とされた。当時、劉淵は漢王であると共に匈奴の大単于でもあった。石勒より2カ月遅れて帰順した王弥が漢の東萊公を授けられたのに対して、石勒が匈奴の称号の一つとして平晋王を授けられたのは彼が一定の評価をされていたからと考えられる。劉淵の招致に応じなかった烏桓の張伏利度の衆2千を心服させて帰順させると、都督山東征討諸軍事を加えられた。
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