漆士族共有作職
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/08/07 06:04 UTC 版)
蒲生町の一部である漆地区でも蒲生士族共有社とは別に士族の共有組織があり、漆士族共有作職(うるししぞくきょうゆうさくしき)と呼ばれていた。もともと、貧窮している郷士に共有地を貸して小作させることで、いざというときの出陣に支障のないようにするという明治以前の制度が残されていたものであった。蒲生士族共有社の解散の経緯を見て、このような制度を存続している時代ではないとの認識に達し、1950年(昭和25年)10月に解散の決議を行い、その当時の共有地を参加者に分配して消滅した。
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