満よひ子の志るべ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/07 06:26 UTC 版)
江戸期〜明治期にかけて付近はかなりの繁華街であり、迷い子が多く出た。当時は迷い子は地元が責任を持って保護するという決まりがあり、地元西河岸町の人々によって1857年(安政4年)2月に「満よひ子の志るべ(迷い子のしるべ)」が南詰に建てられた。 しるべの右側には「志(知)らする方」、左側には「たづぬる方」と彫られて、上部に窪みがある。使用法は左側の窪みに迷子や尋ね人の特徴を書いた紙を貼り、それを見た通行人の中で心当たりがある場合は、その旨を書いた紙を窪みに貼って迷子、尋ね人を知らせたという。このほか浅草寺境内や湯島天神境内(奇縁氷人石)、両国橋橋詰など往来の多い場所に数多く設置された。 1942年(昭和17年)9月に東京都指定旧跡に指定され、1983年(昭和58年)5月6日に種別変更され東京都指定有形文化財(歴史資料)に指定されている。
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