湛井駅とは? わかりやすく解説

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湛井駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/23 16:18 UTC 版)

湛井駅
たたい
Tatai
総社 (2.7 km)
所在地 岡山県吉備郡総社町井尻野1020
所属事業者 中国鉄道
所属路線 吉備線
キロ程 21.5 km(岡山駅起点)
駅構造 地上駅
乗車人員
-統計年次-
323.23人/日(降車客含まず)
-大正9年-
乗降人員
-統計年次-
559.10人/日
-大正9年-
開業年月日 1904年明治37年)11月15日
廃止年月日 1925年大正14年)2月17日
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湛井駅(たたいえき)はかつて岡山県吉備郡総社町井尻野(現総社市)にあった中国鉄道吉備線(現JR西日本吉備線)の鉄道駅[1]。同線の終点であった。

概要

中国鉄道吉備線の開業時に終着駅として設置された。湛井駅近辺は鎌倉時代より高梁川の荷上場が存在しており総社の物流の拠点となっていたが、湛井駅の開業によってそれまでは川舟荷馬車によって運ばれていた薪炭木材備中煙草こんにゃく吹屋村吉岡鉱山からのベンガラ、小泉鉱山のといった高梁川流域の生産物は湛井駅を経由し鉄道によって運ばれることとなった。このため湛井駅は長いプラットホームや十数棟の倉庫を備え、高梁成羽方面の乗合馬車人力車高瀬舟が並び、駅周辺は全盛期には60戸が存在していた。しかし、伯備南線が宍粟駅まで延伸する際に平面交差が認められず、総社駅から湛井駅の間が廃止となったことで湛井駅は物流拠点としての役割を終えることとなった[2][3][4]。なお湛井駅廃止後新線の工事が完了するまでの間は中国自動車株式会社が乗合自動車を運行した[4]

歴史

周辺

  • 高梁川湛井堰:平安時代に作られたとする伝承がある取水堰。現在の堰は当駅廃止後の1965年に完成したものである。

脚注

注釈

  1. ^ 当時の吉備線は総社駅-当駅間で伯備南線の西総社駅(現総社駅)-宍粟駅間の予定地を横断していた。

出典

  1. ^ a b c 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、257頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 『総社市史 通史編』総社市、1998年3月、1079-1091,1115-1118頁。doi:10.11501/9576812 
  3. ^ 『昭和町史』昭和町教育委員会、1970年、552頁。doi:10.11501/9572546 
  4. ^ a b 総社市史 近代現代史料編』1994年。doi:10.11501/9576734https://doi.org/10.11501/95767342025年8月23日閲覧 

参考資料





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