湛快
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/28 05:11 UTC 版)
湛快(たんかい、康和元年〈1099年〉 - 承安4年〈1174年〉)は、平安時代後期の熊野本宮大社の社僧で18代熊野別当。15代熊野別当長快の四男。歴代別当の中で最も有名な21代別当湛増は、湛快の次男。一部の民俗学者や歴史家、随筆家の間で、湛快と「たつたはらの女房」(出家して鳥居禅尼という)が結ばれ湛増を生ませたとの俗説が流布されているが、これは実証を伴わない誤りである[1]。
- ^ 阪本[2005: 247-248]
- ^ 阪本[2005: 235]
- ^ 阪本[2005: 237]
- ^ 湛快が本宮在庁→修理別当→権別当→別当という熊野三山の職制を辿って昇格してきた事実から、当時、熊野三山の職制が制度上かなり整備されていたと考えることができよう。阪本[2005: 237-238]参照。
- ^ 阪本[2005: 239]
- ^ 阪本[2005: 242]
- ^ 阪本[2005: 241-242]、阪本[2010: 38-39]
- ^ 有名な「長寛勘文」にかかわる事件がこれである。詳細は阪本[2005: 421-422]を参照
- ^ 阪本[2005: 422]
- ^ 阪本[2005: 248]
- ^ 阪本[2005: 244]
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