湘軍から継承した制度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/23 09:25 UTC 版)
淮軍も湘軍同様に私的集団、団練である。そのため、清朝の正規軍である緑営では「兵は国家に属する」という前提から将官と兵との交流が制限されていたのに対して淮軍では「兵は将に属する」という原則を打ちたてて、将が自ら兵を集め、兵はただその将に従っていれば良かった。そして淮軍全体としては李鴻章ただ1人に従っていた。 また、緑営が個々の営の定員数がまちまちであるのに対して、淮軍の各営は500人と定員が決められていた。初期の営の編成は下記のとおりである。 営(営官が指揮)親兵(営官の直属部隊。72名)劈山炮隊×2 刀矛隊×3 小銃隊×1 前哨(哨官が指揮。108名) 後哨(哨官が指揮。108名) 左哨(哨官が指揮。108名) 右哨(哨官が指揮。108名)抬槍隊×2 刀矛隊×4 小銃隊×2 ※後に刀矛隊・小銃隊・抬槍隊は全て西洋式小銃隊に改変。
※この「湘軍から継承した制度」の解説は、「淮軍」の解説の一部です。
「湘軍から継承した制度」を含む「淮軍」の記事については、「淮軍」の概要を参照ください。
- 湘軍から継承した制度のページへのリンク