渡辺俊二
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/26 02:22 UTC 版)
渡辺 俊二 | |
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生年月日 | 1938年 |
出身地 | 日本 |
居住 | アメリカ合衆国メリーランド州ボルティモア |
スタイル |
少林寺流拳行館空手道 少林寺流剣遊界渡辺派 |
師匠 | 久高幸利 |
渡辺俊二 (1938年 - )は、少林寺流剣遊界渡辺派空手の創始者。
渡辺氏は1938年に日本で生まれ、1955年に少林寺流のシステム創設者である久高幸利の指導の下、少林寺流拳行館唐手で研修を開始[1]。
1967年、少林寺拳法館空手道の普及を手伝うため、北米派遣の指導者に選ばれた。 カナダケベック州モントリオールで開催されたWorld Expo 67でデモンストレーションを行った後(創設者の息子である久孝正之)、米国メリーランド州ボルチモアに定住し、日本空手センターを開設。 2012年までに、渡辺俊二は教えられたように、教え続けている。
1970年代半ば、北米の少林寺龍拳館空手組織が分裂。 渡辺俊二、米国の森田実、カナダの石野茂とともに、小林寺流剣遊界空手連盟を設立。 その後、森田は引退し、石野は別の空手組織、石野少林寺流玄武館空手を設立した[2] 。 渡辺は現在、少林寺龍拳館-少林寺流剣遊界で、渡辺は空手についての解釈を教えている。 2012年現在、ニューヨーク州ロングアイランドとオーストラリアのブリスベンに支部道場がある。
オーストラリアの少林寺龍空手道グループは、1977年から1995年まで久高正之の門弟であったが、2007年から2011年には渡辺の門下になる。 このグループは、久高の2人の主要な弟子から広範囲に学んだ数少ないグループの1つ。 オーストラリアの少林寺流空手道グループは、2011年に渡辺から独立し、少林寺流交信会空手道道場を設立[3]。 ジェイソン・ロマーの指導の下、ブリスベンの聖心塾道場は、渡辺の連盟の一部であった。
脚注
渡邊俊二
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渡邊 俊二(わたなべ しゅんじ、1948年〈昭和23年〉10月5日[1] - )は、日本の地方公務員(技術公務員)。熊本県土木部長、熊本県住宅供給公社理事長を歴任。瑞宝小綬章受章。
人物・経歴
下益城郡城南町 (現・熊本市南区) 出身。1971年3月 福岡大学工学部土木工学科卒業、同年4月 熊本県庁入庁[1]。道路建設課企画係長[2]、2001年 (平成13年) 熊本駅周辺整備事務所長、2003年 土木部都市計画課長、2004年 同部首席土木審議員兼河川課長、2005年 同部土木技術管理室長、2006年 同部長[1]。熊本天草幹線道路、熊本市から阿蘇市間、南関インターチェンジから荒尾市などの道路整備に取り組んだ他、CALS/ECの対応、とりわけ電子納品化を進めた[2]。
県庁退職後の2008年5月 寺嶋建の後任として熊本県地方住宅供給公社理事長[1]。2011年5月 ハウスメーカー13社と協力し光の森駅北側に総合住宅展示場をオープンした[3]。
栄典
2021年11月 令和3年秋の叙勲で地方自治功労により瑞宝小綬章を受章[4]
脚注
- ^ a b c d “理事長に渡邊俊二前県土木部長が就任 県住宅供給公社 常務理事も交代”. くまもと経済 (2008年5月13日). 2024年12月25日閲覧。
- ^ a b “熊本県土木部長に就任した 渡邊 俊二氏「緊張感をもって山積する課題に対応」”. 西日本建設新聞社 (2006年6月1日). 2024年12月25日閲覧。
- ^ “光の森住宅展示場をオープン…県供給公社とハウスメーカー13社”. くまもと経済 (2011年5月6日). 2024年12月25日閲覧。
- ^ “令和3年秋の叙勲勲章受章者名簿P41”. 総務省. 2024年12月25日閲覧。
関連項目
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