渡瀬凌雲とは? わかりやすく解説

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渡瀬凌雲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/25 07:44 UTC 版)

渡瀬 凌雲(わたせ りょううん、1904年7月9日 - 1980年5月17日)は日本画家南画の大家。本名は渡瀬幸成。

経歴

長野県下伊那郡根羽村に生まれる。幼いころから大平小洲、山本梅荘に師事。尋常小学校高等科を卒業後は上京して福田浩湖塾に入門。一方で、旧制錦城中学校正則英語学校に通いながら那智左典に漢学を学んだ。1925年(大正14年)には京都へ移り、福田静処に和漢文学・詩書を学ぶ。以後、京都に定住する。

1933年(昭和8年)第14回帝展に「河口」が初入選、以後は帝展、文展、日展、日本南画院を中心に出品する。1937年(昭和12年)京都市美術展「南紀佐野村」で京都市長賞を受賞[1]

戦後は同志と南画院を結成して活動を続け、水墨を基調に山水花鳥に新生面を開いた。日本南画院副理事長、京都日本画家協会理事、京都学園大学講師[2]

主な作品

  • 『雲竜図』天龍寺山内慈済院開山堂天井画 1959年

脚注

  1. ^ 『日本美術年鑑』昭和56年版(251-253頁)”. 東京文化財研究所 (2014年). 2022年9月25日閲覧。
  2. ^ 渡瀬凌雲『出身県別 現代人物事典 西日本版』p467 サン・データ・システム 1980年


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