清蔵口の可能性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/02 15:31 UTC 版)
清蔵口(せいぞうぐち)は京の七口の1つで、上賀茂橋の南方約1.5km、新町通と鞍馬口通の交差点付近に存在していたとされる。しかし、1719年(享保4年)に刊行された『京都御役所向大概覚書』の書中に、「賀茂川堤石垣間数並所川幅之事 - 大宮之渡りより清蔵口まで、間数三百八間」と記載されている。「大宮之渡り」とは御薗橋を指す。そこから308間(約560m)離れた所は、現在の上賀茂橋付近であり、この場所にも清蔵口が置かれていた可能性がある。 ちなみに、1922年(大正11年)に測図された、大日本帝国陸地測量部の1/25000地形図「京都東北部」では、名称は記載されていないものの、現在の上賀茂橋付近に橋が存在している。右岸周辺に集落がまったく存在しない一方、左岸北方には広域にわたって居住地(上賀茂神社の社家町)が描かれ、古来より上賀茂橋周辺が京都中心部と上賀茂とを結ぶ街道途中にあったことを示している。
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